空が泣くから
空が泣くから
空が泣くから
生きているなら
潤った胸で
あなた 恋したい
堂本剛が某生放送音楽番組で出てきたとき、目を疑った。
なんだ?あの服装は!と。
蛍光色の黄緑にピンクの模様の入ったタイツの様な服装、そして黒い腹巻。
あんな格好、日本男児のどれくらいがするのか。・・・いや、する人はいないと思う。いるなら教えてほしいくらいだ。
あんな服装、堂本剛しか出来ない。
だが、曲を聴いてみたらピッチはいいし、上手い。純粋に上手い。
唄い方には賛否両論あるようだが、普通に上手いと思う。
CDでは上手くても、生はだめなアーティストがこの世の中で溢れている。
彼はアイドルとしてデビューしたのにもかかわらず、あの生放送であんな素晴らしい歌声を聞かせてくれた。
彼がソロ・デビューを始めたときから、私は「彼はアイドルではなく、ミュージシャンになりたいのであろう」と思っていた。
だって、アイドルが「愛を見失ってしまう時代だ/自分を守り生きてく時代だ/何かを守るために愛を伏せるなんて不細工だ」なんて歌詞、書けるなんて思わなかったから。
それで思った。彼は世間一般の言うアイドルではなく、一人の表現者だと。彼にはアイドルという言葉はふさわしくない、と。
そんな彼が去年から、ENDLICHERI☆ENDLICHERIで活動し始めた。彼が好きな古代魚の名前に由来するというこの名前は、彼らしくて私は好きだ。
ソロ・堂本剛というときよりももっと独創的で、”ENDLICHERI”という独自の世界観をきっちり浮き彫りにした。
それは服装等のビジュアル面もだが、曲がなによりも独特なのである。
叫ぶ声が また 墜落した
彼の1stシングルの出だしはこの歌詞から始まるのだ。それも、突然。
キーボードのイントロが少し入った後、彼の切ない声でこれを苦しそうに歌うのだ。
母親と桜を見に行ったことをきっかけに作ったというこの曲。桜が散る切なさ、「あと何度母親とこの桜を見れるのだろう」というなんとも言えぬ不安。
マイナスな唄は小鳥が嫌う
潜めて逝こうか
潜めて寝ようか
これだけ切ない歌詞があっただろうか、この今のJ-POPシーンの中で。
恋愛系の歌詞でまみれる最近のミュージックシーンは、「エロかっこいい」だの「セレブ」だの音楽を音楽として捉えられなくなっている。
ラブソング、バラードをかっこいい・かわいい売れっ子シンガーが伏目がちに歌えば売れる時代。
そんな彼らが歌う歌詞は大抵陳腐。そこに感動は生まれない。
「誰もが感じたことのあるだろう恋愛のキズ」とやらを歌う彼らに、共感等私はしない。
どこかに切なさが入っていないと。どこかに人間味が入っていないと。
それがロックだろうが、ポップスだろうが。
それに対し、ENDLICHERIの曲は本当に人間臭い。臭すぎるくらいだ。
紫色のラメをふんだんにちりばめたスーツを着て「ソメイヨシノ 君は」と桜を擬人化し歌う彼は、明らかに異質である。今のJ-POPシーンの中で、明らかに浮いている。
だが、それがいいのだ。そこがいいのだ。
J-POPの中に欠けていた「刺激」を、堂本剛はENDLICHERIとして平然とやりだした始まりだったのである。
彼の今の音楽性を、快く思っていない人も多くいると思う。
彼のアイドルという部分を垣間見れないENDLICHERIに、不満を抱いている人も多いと思う。
ネットで新曲「空が泣くから」のレビューを見ても、本当に賛否両論である。
「アイドルがアーティスト気取ってて気持ち悪い」
「こんな曲でJ-POP汚してほしくない」
・・・最高だ、と思った。
こういう風に言われる人がいなかったらミュージックシーンは始まらない。
彼には重いかもしれない一言一言だが、こんな風に言われるアーティストがいることが、素晴らしいと思う。
何かと服装やレコード会社の戦略で批判されるアーティストは多かったが、彼はパフォーマンス・曲で批判されていることが多い。
これが本当だと思う。
音楽はそれぞれの解釈・好みなんだから、嫌いも好きもあって当然。
音・歌い方・歌詞・曲で嫌われる・好かれることが、本当のアーティストだと思う。
彼の向かっている方向は、誰にも予測できない。
彼は確信犯なのか、天然なのか。
あの奇抜な服装も、髪型も、歌詞も、曲も。
どっちにしろ、彼は今いろんな意味でも注目されるミュージシャンの1人であることは間違いないのである。
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